織田信長について

織田信長とは・・・ (まったく知らない人の為に)



織田信長とは、日本が戦国時代の頃に活躍した、最も有名な戦国武将の一人です。

信長は尾張(現在の愛知県)の守護代の支流に生まれます。
彼は、18才で家督を継ぐと10年弱で尾張一国を統一。そして、有名な桶狭間の戦い今川義元を討ち、一躍、名を馳せます。 その後、美濃攻略、足利義昭を奉じて上洛、畿内の平定と天下人への階段を駆け上がるが、突然 配下の明智光秀の謀反に遭い、49年の生涯を閉じた。

と、これがものすごく簡単にまとめた織田信長という人物の生涯です。
歴史の教科書にも出てきますし、知らない人はいないでしょうが・・・。





織田信長、詳細データ


名前

幼名、吉法師
その後、元服して、三郎信長
信長が三郎という輩行をつけられた理由は、三郎というのが
弾正忠家(信長の家門)の後継ぎに代々付けられる習慣が
あったかららしい。
「信長」という実名は、沢彦宗恩(禅宗の高僧)が名付け親。
家督を相続したころからは、上総介信長を名乗る。
この上総介というのは地方官の官職名で受領名(ずりょうめい)
ともいわれる。
上総は現在の千葉県の辺り、介は地方官のランクを表すので、
上総介は上総国の2等官である。ちなみに、これは自称である。
尾張を統一したころからは、尾張守信長
これも自称だが、今回は名だけでなく実もある。
そして、弾正忠信長
これは官職名というもので、弾正忠は中央役職の弾正台の
3等官で、非法を糾弾する役職のことである。
この役職は、信長の祖父の信定や父の信秀も名乗っており、
代々織田家の主が好んで名乗っていたもののようだ。
その後は官職名ばかりで、朝廷より官位をもらうたびに、
権大納言、右近衛大将、内大臣、右大臣と変わった。


生まれ

尾張国 那古屋(愛知県 名古屋市)
1534年(天文3年)、5月28日 生まれ(異説あり)



性格

  • 戦好きで鍛錬も好き。(鉄砲・弓・乗馬・鷹狩り・相撲・水泳)
  • 馬・鷹・高価な茶の湯の器・刀剣の収集が趣味。
  • 自らの侮辱に敏感で、相手を必ず罰する。
  • 決断力に富み、情勢判断に優れる。
  • 合理主義で現実主義。
  • 儀式ばったことを嫌い、迷信を信じない。
  • 自分の決定に対する家臣の忠言には、めったに従わない。
  • 情報戦を第一に考える。
  • 何事も実際自分で確かめて見たがる。
  • 短気。「鳴かぬなら殺してしまえホトトギス」で有名。
  • 対談の際などでは、ダラダラした前置きを嫌う。
  • 規律や規則といった秩序に厳しい。
  • 敵に対しては、苛酷で執拗。
  • 領民に対しては、優しい心遣いもある。
  • 王侯は軽蔑。
  • 身分が低い者とも親しく話す。
  • 睡眠時間は短い。
  • 酒はあまり飲まない。(下戸?)
  • 味付けの濃い料理を好む。(さすが名古屋人?)
  • 甘党。団子や粽(ちまき)を好む。
  • 踊り好き。(「人生50年・・・」の敦盛の一節が有名)



容姿 (事実とは異なるかもしれません)

中肉中背の引き締まった身体。
身長、約165〜9cm。体重、約60kg。
面長で、りっぱな鼻を持ち、鼻の下に髭をはやしている。




「うつけ者」と呼ばれていた頃は、先が茶筅(ちゃせん)のような髷(まげ)をし、 肩の部分を外した湯帷子(浴衣のようなもの)を着、腰には、荒縄を柄に巻き 腕貫きのついた太刀と瓢箪(ひょうたん)を下げていたと云われている。





戦歴


サイト内 別ページ「信長合戦記」参照。





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