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戦国武将辞典 |
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今川 義元 (いまがわ よしもと) |
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知名度 ★★★★★
永正16年生まれ。駿府城主にして駿河・遠江の太守。「海道一の弓取り」といわれた。今川氏親の五男として生まれ、幼い頃は仏門の修行を積んだが、兄・氏輝の急死から起こった家督争い(花蔵の乱)を制し、今川家の家督を継ぐ。 外交面では、長年対立してきた北条氏と甲相駿三国同盟により和睦。 行政面では、氏親が制定した「今川仮名目録」に追加し「かな目録追加」を制定。 軍事面では、三河に侵攻し、松平氏を傘下に組み込むなど、様々な功績を残した。 しかし、永禄3年5月19日、侵攻先の尾張・桶狭間において織田信長と戦い、討死。 享年、42歳。 |
太原 崇孚 (たいげん すうふ) |
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知名度 ☆☆★★★
明応5年生まれ。入道名は雪斎。今川義元の軍師的存在として有名。 義元が幼い頃より養育係として傍におり、後年も軍事・施政・外交、すべての面で補佐した。 武田・北条・今川の甲相駿三国同盟の立役者と言われる。 没年は弘治元年。享年、60歳。 |