戦国武将辞典


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武田 晴信 (たけだ はるのぶ)
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大永元年生まれ。入道名は信玄。「甲斐の虎」といわれた戦国武将。
甲斐守護・武田信虎の嫡男として生まれるも、弟・信繁を可愛がる信虎に廃嫡されそうになった所で逆に追放するという形で家督を継ぐ。
外交面では、今川氏・北条氏と甲相駿三国同盟により和睦。京への足がかりとして美濃に進出してきた織田信長とも同盟を結ぶが、これは後に破棄した。
行政面では、「信玄堤」で有名な川の治水を行ったり、金山を開発したり、伝馬・宿駅制を定めて交通についても整備した。
軍事面では、「甲州法度乃次第」という分国法で家臣を統制し、「風林火山」の旗を掲げ、戦国最強といわれた武田軍団を率い、 信濃・駿河を平定した。その後、京へ向かい遠江・三河へと進出したが、その陣中で病のため没する。 享年、53歳。
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