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風林火山

明日をも知れぬ戦国乱世を生きる者達の愛や夢、そしてその裏にある憎しみや野望を描いた大河ドラマ。
原作は、井上靖「風林火山」。
戦国最強と云われた武田軍を率いた武田晴信と、その軍師として活躍した山本勘助を主役とした物語。

出演・・・山本勘助役「内野聖陽」、武田晴信役「市川亀治朗」、由布姫役「紫本幸」


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大河ドラマ「風林火山」完全ノベライズ



  山本 晴幸  (1500〜1561年)

勘助の名で有名な武田の軍師。入道名は道鬼。
「甲陽軍艦」を基とすると、三河国牛窪の出身という。
諸国の事情から、天文学、兵法、槍術など文武百般に通じ、城取り、陣取り、城造りの名手であったが、その風貌は小男で色は黒く、片目で、足も不自由、体には複数の傷痕があったという。
駿河の今川家に寄宿していた勘助を、武田重臣・板垣信方が武田晴信(信玄)に推挙。
天文15年(1546)7月21日、知行百貫という約束で晴信と対面した勘助は、「片目で、数か所の傷を持ち手足も不自由に見えるのに、これほど名声が高いのは、その能力がよほど高い優れた武士と思われる。このような武士に百貫では少ない。」と言われ、倍の二百貫で召抱えられた。

永禄4年(1561)9月、上杉勢と戦った第4回川中島合戦で晴信に「キツツキ戦法」を進言。
武田勢は、軍を二手に分け、一隊は上杉勢の背後に回り裏手から襲撃し、不意を衝かれた上杉勢が逃げてきた所を晴信率いるもう一隊で挟み撃ちにしようとした。 しかし、上杉謙信はこの作戦を看破し、背後に回ってくる武田勢が到着する前に、自ら晴信率いる本隊に総攻撃をかけた。 兵の半数以上を別動隊にまわし、更に作戦の裏をかかれた武田勢は晴信の弟・信繁を始めとする多くの部将を失い、勘助もまた作戦の失敗を償うため、敵陣に突撃して討ち死にした。 享年、62歳であったという。





  武田 晴信  (1521〜1573年)
太郎、勝千代、入道名は信玄。
大永元年(1521)11月3日、武田信虎と大井夫人の嫡男として誕生。
天文5年(1536)11月、初陣として佐久海ノ口城攻めに従軍。奇襲を持って城を落とし手柄を立てる。
天文10年(1541)、父・信虎を、武田家重臣らと謀り、甲斐を追放。家督を継ぐ。
天文11年(1542)6月24日、諏訪に侵攻。上原城を落とし、桑原城を包囲。諏訪頼重を切腹させる。
天文16年(1547)8月、志賀城の笠原清繁を破り、佐久を平定する。
天文17年(1548)2月14日、上田原の戦いにて村上義清に敗北。



  諏訪御料人  (1531〜1555年)

南信濃の豪族・諏訪頼重の娘。
天文11年(1542)、武田氏の諏訪侵攻により、父・頼重は自刃。
その後、晴信の側室になり、寵愛を受ける。
天文15年(1546)、後に武田の後継者となる勝頼を生むが、その10年後、25歳の若さで世を去る。
法号は「乾福寺殿梅巌妙香大禅定尼」。
井上靖氏の「風林火山」では「由布姫」、新田次郎氏の「武田信玄」では「湖衣姫」として登場するが、実名は伝わっていない。



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