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賤々岳古戦場 |
信長の死後、柴田勝家と羽柴秀吉との戦いが賤々岳で行なわれた。 『賤々岳の戦い』 歴史に名を残すことになった戦いである。 天下人となるべく動く羽柴秀吉。それを阻止せんと立ち向かう織田家筆頭家老・柴田勝家。 この戦いは織田家の行く末を決める重要な意味を持った戦いだったように思う。 しかしながら、織田家古参の部将達の多くが秀吉に従い、結局は秀吉の勝利で幕を閉じた。 これにより力を失った勝家は、本拠・北ノ庄で生涯を終えることとなるのである。 と、まあ、この戦いの詳細についてはここでは多くは語らないことにします。 詳しく知りたい方は、他のサイト様等に載っているので見てみればいいと思います。 さて、ここでは、今 現在の賤々岳・・・・・・合戦跡地について書きたいと思います。 先日、私は賤々岳の戦いのあった場所を訪れた。 滋賀県伊香郡。琵琶湖八景の一つとして賤々岳はあった。 現在ここは一応観光地となっており、多少の設備(駐車場だけ?)もある。 山の山頂へはスキー場の1人乗りリフトのような自称ロープウェイで上がれるため、 運動不足の人や高齢者の方でも安心だ。(その後300メートルほど歩くが) 山頂には、秀吉の像とこの戦いで活躍した七本槍(福島正則、加藤清正、加藤嘉明、 脇坂安治、片桐且元、平野長泰、糟屋武則の七人衆)の碑が立てられている。 この秀吉の像。始め見たときは勝家かと思いました。 なぜって?それは、えらくへこんでいる風だったからです。 明らかに敗残の将の像です。(写真2参照) 曰く、戦いに勝利した秀吉が戦いの日々に疲れている様子・・・・・・だそうだ。 しかし、私にはこの頃の秀吉がこのような様子であったとは思いません。 この頃の秀吉は、もっとも輝いていた。 天下を取るという目標の為に、今まで信長の日影で働いてきた秀吉が初めて日向に出てきた。 秀吉はいかんなく才能を発揮し、まさに最高潮であった。 合戦に勝利した秀吉はこのように疲れた表情ではなく大喜びであったと私は思う。 と、まあ、賤々岳の古戦場跡についてはこのように勝者・秀吉を称えたものであるといえる。 しかし、私は正直それにガッカリせざるを得なかった。 なぜなら、織田家を追う私としては、筆頭家老・柴田勝家の最後の合戦の場がここであったからである。 確かに最後は北ノ庄だが、あのときにはすでに大勢は決していた。 秀吉の像が勝家に見えたのも、私が勝家の像があることを期待して訪れたからであろう。 敗戦にうなだれ、もはや秀吉を止める力は自分にはない・・・・・・そう考える勝家。 織田家が天下を取る夢が潰えた瞬間です・・・・・・。 しかし、やはり歴史は華々しいものが残るものです。 華々しく勝利を治め天下人にまで昇りつめた秀吉。 敗残の将は、その光の影として消えてしまうのです。 悲しいものですね・・・・・・ |