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姉川の合戦場・小谷城跡



『姉川の合戦』
織田・徳川連合軍と浅井・朝倉連合軍が激突した戦い。
両軍を合わせた兵数は4万とも5万とも言われる。
結局、戦いは織田・徳川連合軍の勝利に終わり、浅井・朝倉氏はその後、衰退、滅亡の道を辿ることとなる。
つまり、浅井・朝倉氏の運命を決める合戦の一つであったことは間違いない。
詳細については、当サイトの他のページに載っているのでそちらを参照してもらいたい。

さて、先日、私は姉川の合戦の跡地。そして、浅井氏(浅井長政)の居城であった小谷城跡を訪れた。
まず、姉川の合戦跡地だが、こちらは大層簡易なものであった。
道路の脇に碑が一つ寂しく立っているのみで後は何もない。
まさに、合戦の名残は1欠片も残っていない状況であった。
しかして合戦というものは そのようなものかもしれない。
多くの人が命を失っていった悲しく寂しい場所なのである。

この日、私と同じように碑を見て、現在の姉川の様子をフィルムに収める人がいた。
歴史好きの人であろうか・・・・・・。
私はこの人を見て、改めて本当に昔この場所で合戦があったんだと・・・・・・
そして、歴史好きの人は今でもここを忘れずに訪れてくれているのだと少し嬉しくなった。

次に私は浅井氏の滅亡した場所。浅井氏本拠・小谷城を訪れた。
ここは一応観光地となっているようで、山道(小谷城は山城なのだ)の各所に数々の碑が立っていた。
しかし、見る価値があるものはあまりなかったような気もする。
浅井氏の墓、石垣の跡など見てもいい物もあったが、茶屋跡など見てもしょうがないものも多かったように思う。
結局、私は碑と墓をフィルムに収めると、浅井氏 最後の地を後にした。


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